子育て支援企業エンファム.の社長として活躍する、森光太郎の経歴について調べてみた!

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この記事で分かること
・エンファム.社長 森光太郎氏の経歴や職歴
・企業に至った経緯や苦労話
・エンファム.の事業内容や今後のこと

近年、子育て支援企業が数多く登場する中、2001年からいち早く子育て支援事業を開始し、年々成長し続けているベンチャー企業をご存じでしょうか?

子育て支援ベンチャー企業として知られる株式会社エンファム.では、子育て中のママや子どもたちに向けて、育児情報の提供や親子で楽しめるイベントなどを開催しています。

今回は、エンファム.の創業から現在に至るまでの話、代表を務める森光太郎の人物像について調べてみたので、詳しくご紹介していきましょう

最後に、エンファム.の会社概要や事業にも触れていますので、森光太郎やエンファム.について興味がある方は、ぜひ参考にしてみてください。

森光太郎ってどんな人?


まずはエンファム.の代表・森光太郎氏が、これまでどのような人生を送ってきたのか調べてみました。

生い立ちをはじめ、家庭環境や趣味・性格、学生時代のことに至るまでそれぞれご紹介していきます。

生まれ・生い立ち・家庭環境について

森光太郎氏は、エンファム.の本社がある福岡県で生まれ育ちました。つまり、地元で開業したということですね。

実家は祖父の代から開業医をしていたこともあり、医者の跡継ぎとしての教育を受けたそうです。

森氏自身も物心ついた頃から医者になるつもりでいたそうですが、姉の方が出来が良かったことから勉強に対してのコンプレックスを抱えていたと話します。

小学校に進学する際にも受験を経験していますが、姉は名門校に受かったものの自身は受からず、すべて落ちてしまいました。
このような経験から、常に勉強へのコンプレックスを感じていたようです。

それから、小学6年生の頃に母親が家を出ていき、中学1年生の頃に離婚調停が始まり、森氏が20歳の頃にやっと離婚が成立します。

多感な時期に辛い経験をしたことにより、傷つき涙を流しことも数え切れないほどあったようです。

森氏の境遇は開業医の跡取り息子という非常に恵まれたものでしたが、両親が離婚したことでがらりと人生が変わってしまいました。

趣味・性格について

森氏は幼い頃からぽっちゃりしていたそうですが、小学生の頃に野球部に入部していたことから、体を動かすことは好きだったことが分かります。

また、地元では頭が良い方だったと自身で語っていることから、運動だけでなく勉強にも力を入れる文武両道の学生時代を送っていたようです。

現在の趣味は、野球はもちろん週に1度ジョギングで長距離を走るなど、アクティブな趣味を楽しんでいます。

性格については、医師になることを途中で諦めていますが、勉強へのコンプレックスや医師への理想像を強く持っていたことから、完璧主義に近い性格だったと考えられるでしょう。

学生時代・出身校について

森氏の出身高校は県立で最もレベルの高い福岡県立修猷館高校ですが、進学できたものの次第に周りについていくことができず学校をさぼるようになってしまい、学年最下位まで成績が落ちてしまったそうです。

毎年進級会議に引っかかってしまうものの何とか卒業し、医師になるべく様々な大学の医学部を受験しますが、落ち続け2年間の浪人生活を経験します。

そして、浪人生活を終えた頃に父から言われた「お前は医者になっても大した医者にはなれない」という一言がきっかけで医師になることを諦めてしまいました

当時の森氏の考えとして、医者には「人命を救える医者」と「人に優しい医者」の2種類いて、優秀な医者と呼ばれるのは前者の人命を救える医者だという固定観念があったそうで、自分は後者の医者にしかなれないと思い込んでしまったと話しています。

結局、地元の国立大学にも合格していたものの、医師にならないのであれば東京に出たいと考え日本大学生産工学部へ進学を決めます

大学時代は、医師になることへのプレッシャーから解放されたからか、軟式野球部や野球サークル活動・遊びに精を出すなど、失った青春を謳歌したようです。

失敗の連続だった会社員時代と成功のきっかけについて


学生時代からコンプレックスを抱きながら、いくつもの挫折を経験してきた森光太郎氏は、大学卒業後も苦労や挫折の連続でした。

ここからは、失敗の連続だった会社員時代と成功のきっかけについてご紹介します。

就職後の苦労や挫折

大学卒業後、最初の苦労は就職活動の時でした。

当時、森氏は就職氷河期真っただ中で就職活動を行っており、履歴書を送りますがことごとく落ちてしまいます。

何とかジュエリー会社への就職が決まり、ジュエリーを販売する仕事に就きますが、デザイナーの使い走りのような仕事で転職を考え始めた矢先に、会社からリストラを突きつけられます。

しかし、入社1年目でも退職金が100万円出たので、海外旅行へ行ってからデザイナーになるべくMacデザインアカデミー専門学校へ通い始めます

バイトをしながら専門学校へ通っていたので、当時は休みもなければお金もない苦学生生活を体験したそうです。

無事、専門学校も卒業し東京にある小さいデザイン事務所へ就職しますが、ここも決まっていた大きな仕事がなくなったからと、2度目のクビを経験

2度もリストラを経験した森氏はすっかり意気消沈して地元である福岡へ帰り、就職活動を再開しました。
あっさり広告代理店への就職が決まり、そこで育児物の広告を手掛けるようになったのです。

会社員時代の成功体験

広告代理店で育児物の広告を手掛けるようになりますが、最初は会社から言われた通りのものを作り、幼稚園や保育園などに送るだけでした。

なかなか広告に対してのリアクションが得られないことから、広告を出す会社側も効果がないと手を引いていってしまい、社内でも媒体そのものを止めようという考えに至ったそうです。

しかし、森氏はせっかく良いコンテンツなのに止めてしまうのは違うと考え、会社と交渉し森氏がすべてを担当することとなりました。

その後、森氏は広告を届けていた幼稚園などに足を運び、先生の話を聞いたり育児現場を見学させてもらったりする中で、コミュニケーションの大切さを学びます

そして、育児物の広告を単に送り付けるのではなく、ママさんアルバイトに届けてもらうようにしたところ、徐々に流通し始め広告のリアクションも出るようになり、再び広告が売れるようになりました。

これが、森氏の成功体験と言える出来事です。

起業に至ったきっかけ

手掛けていた広告が売れ始めると、今度は会社側からもっとこうしろ、編集には有名なライターを使えなどと指示されるようになります。

森氏は現場とのコミュニケーションを大切にしていたので会社と直接交渉しますが、会社側はあろうことか森氏に無断でママアルバイトを解雇してしまいました。

これには森氏も異論を唱え、会社と交渉を重ねますが意見の相違から結局喧嘩別れすることに。

会社を辞める際に、広告を一緒に手掛けていたスタッフに起業することを伝えると、11人中9人の社員が付いてきてくれることになり、2001年12月25日に会社を設立しました。

起業した理由はほかにもあるかもしれませんが、勤めていた広告代理店との意見の相違が、起業に至るきっかけとなったのは驚きです。

ここまで波乱万丈な人生を送ってきた森氏の苦労や挫折は計り知れないものがあります。
それでも腐ることなく前に進み続けてきたからこそ、成功した今があるのでしょう。

実際、エンファム.のホームページで森氏は以下のように語っています。

当時の両親と同じくらいの年齢になり、親の気持ちも理解できるようになりました。今では自分を育ててくれたことに感謝することができます。そして、働いて社会貢献することもできます。しかし、キレたりグレたりして犯罪に巻き込まれてしまった子どもは、そこで未来が閉ざされてしまいます。

そんな子を一人でも減らすことができればという思いからこの事業を自分で立ち上げ、今も拡大しています。現在、私は1児の父親でもあり、親の立場からも現在の育児環境を見ることができます。

引用元:https://enfam.jp/company/

確かに、両親の離婚は森氏にとって絶望的なものだっかのかもしれませんが、苦しみながらそこから得たものが現在の原動力となっているのは言うまでもありません。

今では森氏自身も子どもを持つ親となり、当時の両親の気持ちを理解できるようになったとのこと。

また違った視点を持ったことで、事業のさらなる推進・新しい事業の展開をしていってくれることでしょう。

森光太郎氏のSNS情報

森光太郎氏は、個人のSNSアカウントをいくつか持っています。

そのうち、ブログにはエンファム.へ社名が変わる前の会社、「リトル・ママ」時代のことが中心に書かれているようです。

以前の森氏がどのような考えを持っていたか・どのように会社が成長していったか気になる方は、ぜひブログもチェックしてみると良いでしょう。

また、インスタグラムに関しては投稿数が頻繁に更新されていることから、現在の森氏の様子も見られる可能性があります。

実は最近までアカウント非公開となっていたのですが、現在は一般に公開されるようになりました。

投稿されている内容は、エンファム.の会社の様子・イベント告知・森氏のプライベートなことまで、幅広く投稿しています。

他には、アクティブに更新しているSNSは現時点ではないので、本記事で森氏やエンファム.に興味を持った方は覗いてみてください。

森光太郎氏のSNS情報
・フェイスブック:https://www.facebook.com/morikoutan

・ブログ:https://ameblo.jp/morimori-lma/

・インスタグラム:https://www.instagram.com/morikoutan/

エンファム.の基本情報

森氏のことが分かったところで、代表取締役を務める株式会社エンファム.のことについて触れていきましょう。

概要は会社概要は以下のとおりです。少数精鋭で育児支援事業をはじめ、さまざまな事業を展開しています。

<会社概要>
社名:株式会社エンファム.
代表取締役:森光太郎
創立:2001年12月25日
資本金:6,715万円
社員数:33名(2020年5月現在)
本社・支店:福岡と東京にそれぞれ本社を設置。支店として大阪オフィスもあり
主な事業:育児情報誌「リトル・ママ」の出版(2002年3月創刊)
ママ向けお出かけコミュニティサイトの運営
ママと子どもをターゲットにしたイベントの企画・実施
ママに向けたマーケティング・プロモーション など

創立は2001年と業界の中では、老舗の部類に入るようですが森社長曰く「ベンチャー精神は常に持ち続けている」とのこと。

次から次に新しい事業を立ち上げられる要因が、このベンチャーマインドに隠されているのかも知れませんね。

エンファム.の道のり

ここで、エンファム.が今までどのような歴史を経てきたのか見ていきます。

先にご紹介した通り、創業は2001年で有限会社イリスとしてスタートしたのが、エンファム.の始まりです。

エンファムの.沿革
・2001年12月:有限会社イリス設立(福岡県)
・2002年03月:育児情報誌「リトル・ママ」を創刊
・2002年05月:リトル・ママホームページオープン
・2006年03月:ドリームゲートビジネスプランコンテストで全国大会ファイナリストに選出
・2006年05月:株式会社リトル・ママに社名変更、資本金を1,000万円に増資
・2007年05月:東京支社開設
・2007年10月:福岡市ステップアップ助成事業「ビジネスプラン評議会」で最優秀賞受賞
・2011年12月:資本金を3,000万円に増資
・2016年05月:育児情報誌「リトル・ママ」東京版を全国版に拡大
・2019年02月:大阪支社開設
・2019年06月:資本金を6,715万円に増資
・2020年12月:株式会社エンファム.に会社名を変更

創業から5年と経たずに資本金を1,000万円に増資し、株式会社化。順調な経営基盤を築いていきました。

ビジネスプランコンテストや福岡市のビジネスプラン評議会でエンファム.の事業に注目が集まり、ますます知名度が上がっていったようです。

資本金も次々と増資を重ね、東京支社・大阪支社も設立、2020年に現在の株式会社エンファム.に社名を変更しました。

福岡本社を新たなフィールドへ

ちなみに、2022年5月に福岡本社を移転したとのことです。今までのオフィスビルから離れ、一軒家タイプの事務所で心機一転新たなエンファム.をスタートさせました。

移転理由について森氏は、「テレワークが当たり前になり、事務所の役割が変わってきたから」と話しています。

オフィスは単に「仕事をする場所」としてではなく、人と人がコミュニティを築く場所としての色合いが濃くなってきたということです。

顧客やサービスをしているユーザーと密なコミュニケーションを図れるよう、一軒家オフィスにはWEB会議ができる部屋が豊富にあることに加え、

中庭やテラスもあるため、社員はワーケーションのような働き方ができるなど、リラックスできる職場環境を用意しています。

こういった柔軟な発想は、前述したベンチャーマインドを持っているからこそできるものではないでしょうか。

育児支援事業「リトル・ママ」のスタートから現在に至るまで


引用元:https://enfam.jp/service/

上記は、エンファム.の代名詞となっている「リトル・ママフェスタ」での一幕。年間約10万人を動員する国内最大級の育児イベントです。

現在リトル・ママフェスタを始めとした、様々な育児支援事業を手掛けているエンファム.。

ここからは、起業してから現在に至るまでを見ていきましょう。

森光太郎氏のエンファム.での役割について

起業当時、はじめこそ人間関係は良かったものの、会社が成長していくにつれて人間関係が悪化することもあったそうです。

前職の際は、1社員の「森さん」だったのが経営者の「森社長」になった訳ですから、そこに対し軋轢が生まれてしまうこともあったのでしょう。

しかし、そんな時も森氏は逃げず、社内で起こった人間関係の壁にも真っ向から向き合い修正してきました。

森氏はこういったことは1度や2度ではなく何度もあったと話していますが、その度に何とか乗り越えながら現在のエンファム.が作られたのではないでしょうか。

順調な経営を続けるエンファム.ですが、社長である森氏は社員たちにある約束をしているそうです。

森氏の宣言
・10年以内に全国のママと子供の明日を応援する会社になっていること。
・社員が常に現場目線で働けるように、業態を広げていること。
・社員が夢を持ち続けられるようになっていること。
・社員の給料を2倍・3倍にすること。

2014年に上記4つの宣言を社員たちの前で発表して以来、現実に向け日々取り組まれています。

驚いたことに上記のほとんどは、達成もしくは達成間近だということ。

リトル・ママフェスタを唯一無二の子育てイベントまで成長させていますし、続々と新しい事業を打ち出しています。

顧客の満足度はもちろんですが、働く社員たちの満足度が高くなければ良いサービスは生み出せません。

そういった意味で、「社員を大事にし事業を適切に回していく」ことが、現在の森氏の役割なのではないでしょうか。

上記の宣言については、以下の記事で森氏に詳しい話をお聞きしていますのでぜひ御覧ください。

 

エンファムが展開する事業について

エンファム.が展開する事業の根幹は、森氏のこれまでの人生体験から「子どもの明るい未来を創造する」ことが基盤となっています。

2022年10月現在、確認できる事業は以下のとおりです。

エンファム.の事業3本柱
・メディア事業(イベント・紙・WEBメディア)
・ファンマーケティング事業
・スクール事業

メディア事業は、エンファム.が長年手掛けている事業で、先程、紹介した「リトル・ママフェスタ」もこの事業の1つです。

ファンマーケティング事業は、コロナ禍の中生み出されたエンファム.会心の事業となります。全国のママたちを効率的に集客してきたエンファム.だからこそできる事業と言えるでしょう。

その他では、「リトル・ママビジネススクール」という子育て中のママ・パパたちのキャリア形成をサポートする事業も。


画像引用元:https://lp.l-ma.o.jp/bizschool/

ママライター講座・Instagram運用講座・WordPress講座など、在宅で仕事をする際に役立つ講座が用意されています。

他に、WEB制作講座や動画クリエイター講座も新たに追加されるようなので、今後ますます専門的で有用なスキルを学ぶことができるようになります。

申込みにはまず、LINEで友だち登録しておく必要があるので、受講を考えている方はあらかじめ登録を済ませて置くと良いでしょう。

また、この講座を受けた先輩ママさん達の中には、下記のように子育てをしながら働いている方も複数いるようです。

卒業生が立ち上げたサイト

子育てと両立できる新たなキャリアを形成したい方は、ぜひチェックしてみましょう。

エンファム.のこれからについて


画像引用元:https://bjb.life/


エンファム.は現在、より多くの人に認知してもらうためにWEBサイトやイベントを通じて全国のママとコミュニケーションを取っています。

今後も育児に対する支援として、育児情報誌の出版から子育てに役立つWEBサイトの運営、イベントなどの企画・運営、ママの就業支援など、幅広く展開していくことが予想されます

実際、ママが対象だったサービスとは別に、おじいちゃん・おばあちゃんに向けたサービス展開も視野に入れているようです。

それが、2022年3月17日にスタートした新たなメディア「bjb」です。

既に公式サイトもオープンしており、併せて季刊誌が10万部発行が予定されている、バブル世代の方をターゲットとしたメディアになります。

bjbのリンク:https://bjb.life/

こちらのサービスでも、リアルイベントの開催やサイトを通じて他の利用者さんと仲良くなれるなど、面白い仕掛けが豊富に用意されています。

中には、バブル時代に人気だった地域を巡るツアーなども企画されており、これからもバブル世代に刺さるイベントが開催されていくでしょう。

また、サイト内にある記事(読み物)では、これからの人生が豊かになるような情報(シニアの趣味やお役立ち情報など)を多数掲載しています。

読み物
・50歳からの初体験③『韓国語の独学勉強法』
・50歳からの初体験①『座禅を体験してみよう』
・簡単!「ながらリンパマッサージ」で血行を良くして健康に! など

bjbで新たな友達や仲間を作るも良し、記事を読んでひたすら思い出に浸るも良し。お好きなスタイルでbjbを利用しましょう。

まとめ


今回は、育児支援事業を展開するエンファム.の創業者であり代表でもある森光太郎氏の生い立ち、学生時代、会社員時代、起業に至るまでを遡り、ご紹介してきました。

森氏と社員が一丸となって進める事業の背景には、森氏がこれまで味わってきた苦労や挫折があります。

自分のような思いをさせたくないという考えから、ママたちを支援し子ども達に貢献していこうと起業し現在に至るまで様々な苦労を重ねてきました。

今後も森氏は「自分たちはいいことをしていると胸を張れる仕事をしていきたい」としていることから、より多くのママや子どもたちへ支援ができるように事業を展開していくことが考えられます。

ママ同士が地域のコミュニティ以外でつながれることはそうありません。

しかし、森氏が手掛けるエンファム.であれば全国のママたちがつながり、孤独を抱えることなく笑顔で育児ができるようになるでしょう。

本記事を読んで森光太郎氏のことをもっと知りたくなった方は、下記のサイトもご覧ください。創業時の苦労話やサービスのこだわりについてインタビューしています。