調教師である平田修とは?競馬で厩舎を運営した実績や経歴をご紹介

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調教師とは、競馬で厩舎を運営して競走馬の管理を行う人のことであり、騎手を逆にして手騎と呼ばれることもあります。

日本で調教師になるには農林水産大臣の認可が必要であり、日本中央競馬会と地方競馬全国協会によって調教師試験が行われている国家資格です。

難関国家資格

中央競馬では日本中央競馬会、地方競馬では地方競馬全国協会から調教免許取得が必須ですが、これらの免許は異なるものとなっています。

日本の競馬では馬房の数を物理的に制限しているため、調教師になれるのは引退した調教師との関係で制限されています。

合格者数も限られ、合格率10%未満ともいわれている難関資格ですが、その狭き門の中で活躍している平田修氏の人物像に迫ってみたいと思います。

調教師としての平田修氏の実績や経歴、また各厩舎の調教助手としての情報も紹介していくので参考にしてみてください。

 

調教師として活躍している平田修氏の実績や経歴

競馬界に欠かせない調教師の1人である平田修氏とは、どのような人物なのでしょうか?

平田修氏の実績や経歴を交えてご紹介します。

氏名 平田修
生年月日 1960年5月29日
出身地 京都府
免許取得年 2005年
所属 栗東
キャリア 17年目
通算勝利数 343勝
初出走 2006年3月5日 1回中京2日目12Rサンエムテイオー・3着
初勝利 2006年4月23日 1回福島8日目10Rゼッツー・延21頭目
直近の重賞勝ち鞍 2018年 NHKマイル(GI) ケイアイノーテック

 

平田修氏は、1960年に京都で生まれました。

1983年に競馬学校の厩務員課程を修了して厩務員となりました。

1984年に中央競馬の管理馬通算出走11201回、史上最多記録を打ち立てたことで知られる内藤繁春厩舎で調教助手として働き、史上最強の一発屋として称されたダイユウサクなどを担当しています。

2005年3月1日に調教師免許取得、2006年3月1日に自身の厩舎を開業しました。

2005年の4月23日には、ゼッツーでJRA初勝利を記録した後、2007年4月22日に、ベッラレイアにてフローラステークスを勝利したことで、JRA重賞初制覇を記録しました。

2012年のNHKマイルカップはカレンブラックヒルで優勝、GI初制覇となっています。

2013年12月8日の中山7Rではサトノスーペリアが1着、JRA通算200勝を達成することができました。

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ちなみに同姓同名の実業家で「家庭教師のトライ」などを運営するトライグループ創業者の平田修氏がいますが、全くの別人です。

トライグループ創業者の平田修氏と、現在のトライグループ社長の二谷友里恵氏については以下の記事を御覧ください。

二谷友里恵は現在社長?女優、再婚そして今に至るストーリーを徹底調査!

 

平田修氏の管理馬について

調教師としても成績を残している平田修氏ですが、これまでの管理馬についても紹介していきましょう。

  • ストラタジェム(2006年天皇賞【春】3着)
  • ベッラレイア(2007年 フローラステークス)
  • ケイアイガーベラ(2010年 プロキオンステークス)
  • ブライティアパルス(2010年 マーメイドステークス)
  • グランデッツァ(2011年 札幌2歳ステークス、2012年スプリングステークス、2015年七夕賞)
  • カレンブラックヒル(2012年ニュージーランドトロフィー、NHKマイルカップ、毎日王冠、2014年ダビー卿チャレンジトロフィー、2015年小倉大賞典)
  • カレンミロティック(2013年 金鯱賞)
  • ゴールドドリーム (2016年 ユニコーンステークス、2017年 フェブラリーステークス、チャンピオンズカップ、2018年 かしわ記念、帝王賞、2019年 かしわ記念)
  • ケイアイノーテック (2018年 NHKマイルカップ)
これまでの管理馬は上記の通りですが、結果からもわかるように調教された馬は数多くの好成績を残しています

平田修氏が優秀な調教師だということが分かります

 

平田修氏が調教助手経験をした厩舎や調教師について

平田修氏は、自身の厩舎を構える前に様々な調教助手としての経験をしています。

ここでは、調教助手として経験した厩舎や調教師について紹介していきましょう。

🐎内藤繁春

内藤繁春氏は愛知県出身の元騎手元調教師元馬主という異名を持つ人物です。

学生時代の友人と岡崎競馬場を訪れたことをきっかけに騎手を志した人物で、1952年に騎手免許を取得して正騎手としてデビューしました。

1956年に障害競走中に騎乗馬の転倒で下敷きとなり、長期休養となってしまうが見事に復帰し、その後も厩舎廃業などの窮地に立たされるも、騎手時代は中京の小鬼と呼ばれるなどの活躍をみせました。

騎手引退後は、調教師として開業して騎手時代に果たせなかったクラシックの制覇をするなど騎手、調教師として活躍した人物です。

調教師の定年となる70歳を控えた時、再度騎手免許試験に挑んだのですが、結果は不合格となってしまいます。

しかし、調教師時代の通算出走数は中央競馬史上最多などの記録を残しています。

🐎森秀行

森秀行氏は、1993年に厩舎を開業して1990年代の日本馬の国外遠征を牽引した調教師です。

社台ファームの勤務中に日本中央競馬会の調教助手試験に合格し、1981年に栗東トレーニングセンターの所属となりました。

1993年に調教師免許を取得したのですが、同年の5月に師である戸山氏が死去したため、管理場を引き継ぐ形で開業しました。

1994年には、管理馬房数の3倍となる年間30勝を記録し、JRA賞最高勝率調教師同優秀技術調教師の2部門を受賞しています。

調教師として大きな結果を残しながらも、騎手の意見をよく聞いて取り入れる人柄が評価されています。

調教師

🐎橋口弘次郎

橋口弘次郎氏は元調教師で、栗東トレーニングセンターに所属していました。

大学卒業後に公営・佐賀競馬で1年ほど騎手として活躍したのちに中央競馬で調教師となった異色の経歴の持ち主です。

1982年に栗東トレーニングセンターに厩舎を開業し、同年の3月13日には管理馬のハクサンレンポーが初出走で初勝利となりました。

郷土愛が強く、管理馬の出走には慎重な態度を表すとして知られていましたが、引退までの生涯成績は8645戦991勝、重賞96勝となっています。

🐎石坂正

石坂正氏は、日本中央競馬会栗東トレーニングセンター所属の元調教師です。

学生時代から熱烈な競馬ファンであり、1978年に致命的な骨折による闘病生活を送っていたテンポイントの死亡したことをきっかけに、牧場で働きたいと優駿牧場へ就職しました。

調教師免許取得後、栗東トレーニングセンターで厩舎を開業した後、初年度から好成績を記録しました。

2011年に自己最高の年間44勝を記録し優秀調教師賞を初受賞した人物です。

 

栗東トレーニングセンターで引退した調教師

調教師
平田修氏が所属する栗東トレーニングセンターでは、2021年の2月末で調教師が7人引退しました。

引退したのは前述した石坂正氏を含む7人で、馬に関われた人生を楽しんだ声が多かったようです。

2002年から多くの勝利重賞を記録する角居勝彦氏は、自らの手で看板を下ろしてこれまでを振り返ったとされています。

そして今後は競走馬のセカンドキャリアを支援していくようです。

 

まとめ

内藤繁春厩舎で調教助手として働き、2005年に調教師免許を取得後2006年には自身の厩舎を開業し、調教師として長年活躍してきた平田修氏。

様々な競走馬を担当し、その競走馬たちは数々の優秀な成績を残してきました。

また平田修氏が開業した厩舎からは多くの調教師が誕生し、結果を残しています。

栗東トレーニングセンターでは、2021年2月末に7名の調教師が引退してしまいましたが、今後も新たな調教師との出会いがあることでしょう。

現在も厩舎で競走馬を管理している平田修氏は、これまで多くの調教師から学んだ経歴を生かしてさらに活躍してくれることでしょう。

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