日本大学でアメフトを牽引してきた井ノ口忠男氏とは?人物/経歴/指南書をご紹介

井ノ口忠男

東京都千代田区にある日本大学は私立大学であり、常に世界的な視野を持ち、教育の発展及び人類社会への貢献を教育目標としています。

日本大学でアメフトを牽引し、会社経営も行いつつ自身もアメフト選手として日本大学を卒業している井ノ口忠男とは、どのような人物でしょうか?

井ノ口忠男の人物像や経歴についてご紹介します。

なお、井ノ口忠男が過去に役員を務めた日大事業部については、別記事で触れておりますのでご覧ください。

【調査】気になる日本大学事業部の経営体制と経営陣について!!

 

日本大学と井ノ口忠男氏

大学

日本最大の規模を有する日本大学は、現在の日本大学の前身となる日本法律学校として誕生しました。

教育や研究を中心とした医療から、近代社会を目標にした様々な活動を行っており、単科大学のような独立したキャンパスがあるのが特徴です。

大学が主催するイベントも実施し、学問の領域を広範として発展に取り組んでいます。

1903年から日本大学と改称し、1920年に認可された歴史ある大学です。

学問と同時にスポーツの分野でも注目されている日本大学は、アメリカンフットボールのレベルが非常に高く、井ノ口忠男氏自身も日本大学でアメフトの黄金期を支えた1人と言われています。

また井ノ口忠男氏に憧れてアメフトを始めた選手も多く、日本大学と井ノ口忠男氏、アメフトは欠かせない関係性があるでしょう。

 

アメフトはどんなスポーツ?

アメリカンフットボール

アメリカンフットボール、略してアメフトはフットボールの一種であり、楕円形のボールを使って得点を競い合う競技です。

漢字では米式蹴球となり、アメリカの国技と呼ばれる程人気の高いスポーツです。

ラグビーと似ていることから間違われることがありますが、アメフトの場合は防具の着用が必須であり、小さな茶色のボールをパスして行います。

ラグビーは防具を着用しないため、ボールを持った選手のみをブロックできますが、アメフトでは防具着用のため、ディフェンス選手に対してもブロックできます。

試合人数もラグビーは15人で行いますがアメフトは11人、選手交代も無制限で行えます。

第1クォーターから第4クォーターで15分間の試合が行われ、間にハーフタイムを挟むため約2時間~2時間30分程度の試合時間で行われるのが特徴です。

タッチダウン6点で得点が決まります。

選手へのパスも可能であり、攻めと守りの違いもはっきりと分かりやすいため、見ていて試合展開が分かりやすいのが特徴的です。

 

自身も活躍した井ノ口忠男氏

アメフト選手

アメフトの強豪校である追手門学院高等学校の卒業生の井ノ口忠男氏は、1978年に甲子園ボウルの最優秀守備選手として受賞した記録の持ち主です。

そもそも甲子園ボウルとは、毎年12月の第3日曜日に開催される全日本大学アメリカンフットボール選手権大会の決勝戦のことです。

大学日本一を決める大会とも呼ばれており、兵庫県の阪神甲子園球場で行われていました。

日本アメリカンフットボール協会と毎日新聞社の主催で行われ、特別協賛枠で最も多く出資しているのが三菱電機です。

2016年から三菱電機が多く出資していることから、現在では三菱電機杯毎日甲子園ボウルという名称に変更されています。

2008年度までは東西大学の王座を決めるために行われていましたが、2009年から全国8連盟による全日本大学選手権の開始に伴い、決勝戦の舞台も移行されました。

井ノ口忠男氏が受賞した1978年の甲子園ボウルは、6つある賞のうち日本大学が5人受賞し、日本大学のアメフトの強さを見せつけた年代でもあります。

本物の優秀者しか受賞できない賞であり、受賞した井ノ口忠男氏は学生時代からアメフトに打ち込んで必死に頑張っていたことが分かります。

実際に、関東のアメフト強豪校トップ5の中に日本大学が含まれていて、いかに日本大学のアメフトレベルが高く、その中でも優れた選手しか活躍できないでしょう。

 

黄金期の井ノ口忠男氏の活躍

トロフィー

1978年から1990年までの間、13年間で9回の優勝をした黄金期が存在します。

13年間の間、日本大学のアメフトを選手として支えていたのが井ノ口忠男氏でした。

甲子園ボウルでも好成績を記録しただけでなく、9回の優勝が簡単に実現できるものではありません。

黄金期にいかに日本大学のアメフトのレベルが高かったことも想像できますが、さらに活躍していた井ノ口忠男氏がスーパー選手であったことも分かります。

井ノ口忠男氏は活躍していた時代に、日本大学の代名詞とも呼べる「ショットガンオフェンス」が誕生した時でもありました。

ショットガンオフェンスは、レシーバーがショットガンのようなスピードで飛び出していき、パスルートを確保するものであり、強烈な戦法から日本大学の名物とも呼ばれています。

井ノ口忠男氏は当時とても優秀な選手であり、井ノ口忠男氏を倒すことを目標にしていた選手も多くいたようで、東西様々な大学からの注目されている存在でした。

しかし、日本大学の選手の結束力や戦法によって新しいものが生まれる度に力の違いを感じさせていたそうです。

その結果、選手時代にいくつもの記録を残した名選手として知られています。

 

まとめ

アメフト選手

日本大学でアメフト選手としていくつもの記録を残している井ノ口忠男氏は、日本大学のコーチとしても活躍していました。

日本大学のアメフトを牽引してきた井ノ口忠男氏は、トッププレイヤーだったようです。

今回、指南書についての情報は発見できませんでしたが、アメフト界では多くの実績を残してきた人物であることが分かりました。

そのため、アメリカで人気に高いアメフトを日本で浸透させた1人と呼べる存在でしょう。

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