2ch(2ちゃんねる)や5ch(5ちゃんねる)でアルテカの野村紘一氏を知りました。
彼はバブルの時期を挟んだ40年以上もなんと黒字経営を続けています。その信念と功績、時代の流れを読み取る力はどのようなものなのでしょうか。詳しく見ていきましょう。
野村紘一氏の経営者としての共通点を見る
どのような業界でも成功を収めた方というのは、ある程度の共通点があるかと思うのが私の持論です。ここで例として挙げさせてもらうのが、アルテカ創業者でもある野村紘一氏という人物です。この人物は1975年に不動産総合会社のアルテカという事業を立ち上げました。
彼は不動産業界では誰もが知るような企画を成功させるのですが、ここで経営者としての分岐点が訪れます。この事業の成功をかてにしてどんどん多角化経営して投資を増やしていくか、またはある程度堅実性を持って利益だけには走らずに地域のために運営を行なっていくのかという2択です。
ここで野村紘一氏が選択したのは堅実性を重要視するという後者の方でした。そして何より地域の方々に貢献したいという思いが強い方ですので、選んだ要因の1つともされています。
ここで展開していったのが成功によって好評を獲得していったマンションのシリーズです。野村氏はさらなる利便性を追求しつつも、多くの付加価値を付けて利用者の満足感を高めていったのです。ここまで成功をする以前の感覚と何ら変わる事がない姿勢で、利用者の満足を追求する形で事業を進めていきました。このあたりの堅実性が様々な業界での成功例と面白いくらいに合致しているのが特徴で、やはり成功には堅実性も重要な要素だという事が見受けられます。
そして多くの方が成し遂げてきた実績というのが、地元の地域社会への貢献でしょう。この部分も野村氏はしっかりと取り組んでおり、その1つが地域では誰もが知る程の商業施設の計画と完成です。マンションシリーズで獲得したノウハウをふんだんに活用し、外観の美しさや地域の街並みのマッチングなど多方面で考慮されており、地域のランドマークとして君臨しているのは見逃せません。
また衣食住を同時に達成する事ができるビルの開発にも着手しており、地域の皆さまが安心して暮らせるような環境を構築しているのです。このように成功から利益を追求していくというタイプではないのが、この野村紘一氏の特徴であり魅力の1つでしょう。
驚かされる野村紘一氏の経営理念
どの企業にも社外秘というものがあるのではないでしょうか。テレビなどでは、飲食店の「秘伝のタレ」や「秘伝の味付け」という言葉をよく見聞きします。
絶対に同業他社には知られたくない、自社だけのノウハウは業種を問わずどこの企業にもあるはずです。
そしてそのような社外秘のノウハウや秘密は、外に漏れないように厳重に管理しているでしょう。
けれど不動産総合商社を創業した野村紘一氏は、そのような考え方をしていませんでした。
野村紘一氏は、日本で初めて超高級マンションを販売したことで知られる人物です。販売当初は需要がある訳が無いと思われていましたが、周囲の予想を大きく裏切り、順調な売れ行きを見せました。
それに驚いた同業他社達は、すぐさま自分たちも超高級マンションの販売に参入し始めました。けれど初めてのことですので、ノウハウも知識も乏しいことは誰でも分かります。
そこで同業他社達は、野村紘一氏の会社が手掛けるマンションの見学会に積極的に参加してきました。見学会を開くと、その参加者の半分が同業他社の社員だったこともあるそうで、彼自身自社のマンションが研究されていることは十分承知していたそうです。
そうなると同業他社の見学はお断り、としてもおかしくはありませんが、そうはしませんでした。
同業他社の社員たちが見学会に訪れても断ることなく受け入れていたことは、驚きでしかありません。何故そうしたのかというと、二度と同じマンションは作らないから、という明確なポリシーがあったが故です。
そのためどれだけ研究されようが、見学されようが困ることはないという、確固たる信念を持っていたからこそ、どれだけ研究されても慌てふためくことはありませんでした。このようなポリシーを持った人物であるからこそ、不動産業界に新しい需要を生み出すことが出来るのだと感じることが出来ます。
常に変化を求め、マンションの質も高めていくという、野村紘一氏のポリシーはその後も変わることがありません。
野村紘一氏の素晴らしい功績について
野村紘一氏は、日本の不動産業界の発展に大きな影響をもたらしたといいます。この方のすごいところは、マンションがただの集合住宅だと見られていた時代に、1室1億円を超える高級マンションを作り出した、という点でしょう。何か新しい商品を作る時、普通の人はすでに売れているものをチェックして後追いしたり、市場のニーズに合うものを考えたりするものです。しかしそうした状況が続いていると、同じようなものばかりが溢れ、飽和状態になってしまいます。
野村紘一氏は、高額すぎるマンションなど売れるはずがないと考えられていた時代に、高級マンションを開発して売り出しました。販売が始まると大きな反響があり、野村紘一氏本人も驚くほど、問い合わせが殺到したといいます。
この方は、いずれ高級マンションが売れるようになるはずだという確信を持っていたそうです。当時の日本は高度経済成長の真っ只中であったのに、住居のレベルが人の暮らしに追いついていない、と感じていたといいます。欧米レベルの住居が必ず求められるようになると予想し、日本の限られた土地を有効活用する手段として、高級マンションという存在を開発したそうです。潜在的な需要を読み取る先見性を持っているだけでなく、それを実際に形にする決断力と実行力を備えた人物だといえます。
野村紘一氏の高級マンションが売れるようになると、同業他社も後を追うように開発と建設に参入しはじめたといいます。やがてあちこちに美しい高級マンションが建つようになり、その影響力は地域にもプラス効果をもたらしました。入居者によって人口が増加し経済活動が活発化するなど、様々なメリットをもたらしたのです。
野村紘一氏が火付け役となった高級マンションブームは長い期間続き、やがて定着して現在にいたります。売れるはずがないといわれた高級マンションが、今ではハイクラスなライフスタイルを象徴する存在となり、大きな人気を集めるようになっています。
時代の流れを読み取る力を持つ野村紘一氏
「時代の流れを読む」とは言うのは簡単ですが、実際にそうしたことが出来る人などほんのわずかだと言っても良いでしょう。けれどそのようなほんのわずかな人たちが、特に事業で成功することはよく知られていることです。事業で成功するためには、既に先駆者がいるような分野ではなく、自分で新たな分野を切り開くことが必要になります。
そしてその時に、「時代の流れを読む」力が大切です。事業で成功するためには、今だけを見つめていては失敗します。必ず時代は流れ、ニーズも異なってきますので、長い目で見た事業計画が必要になります。その点でいうと、不動産総合商社を経営してきている野村紘一氏の「時代の流れを読む」力は、抜群に高いと言わざるを得ません。
それまで日本に存在すらしていなかった超高級マンションを、初めて販売した経営者だと聞けばその凄さが分かるでしょう。今では珍しくもなくなっている超高級マンションですが、それは野村紘一氏が販売を始めたことがスタートになっています。そして年月を経た現在では、すっかり社会に受け入れられている住まいになっていると言えます。
野村紘一氏は、必ず日本にも欧米のような超高級マンションの需要があると確信して販売を手掛けました。その読みは当たり、次々と同業他社も超困窮マンション事業に参入してき始めました。
野村紘一氏は新たな事業を開拓することで、不動産事業そのもののマーケットを拡大することを考えていたそうですが、そのような考え方もまさに「時代の流れを読む」ことが出来るからこそです。一戸建てが主流だった日本では新たな事業分野を開拓しなければ、いずれ不動産業は衰退の一途を辿ってしまうことは予見することが出来ます。
そしてそこで超高級マンションという分野を開拓しようと考え、実行に移すことが出来たのは野村紘一氏だけです。時代の流れを読み続けているからこそ、彼の会社は創業以来常に黒字経営を続けているのでしょう。