任天堂の代表を務めた故・岩田聡氏は、代表取締役在職中に55歳の若さで亡くなりました。
生前はゲームクリエイターとしてだけでなく、経営者としても名が知られた人物で、現代のゲーム業界にも大きな影響を与えています。
今回は、高校同期生26人が証言した『ゲーム界のトップに立った天才プログラマー 岩田聡の原点』という本と岩田聡氏についてご紹介します。
自己研鑽のきっかけを探している人におすすめの書籍なので、ぜひ参考にしてみてください。
目次
任天堂の歩んだ道
任天堂から家庭用ゲーム機のファミコンが発売されたのは1983年の夏です。
今でこそニンテンドーとして家庭用ゲーム機などを発売しているイメージが強い任天堂ですが、そもそもの歴史はとても古く、創業は明治22年にまでさかのぼります。
任天堂の沿革
任天堂は明治22年、山内房治郎が花札の製造を開始してスタートした会社です。
明治35年には日本で初めてのトランプ製造に着手し、昭和に入り日本初のプラスチック製トランプの製造に成功しました。
昭和48年に業務用のレジャー機を開発後、昭和50年代には家庭用と業務用のテレビゲームを発売し、1983年、ファミコンの発売に至っています。
大人気ソフトのスーパーマリオブラザーズの発売は昭和60年のことです。
平成元年には携帯型ゲーム機のゲームボーイを、平成8年には家庭用テレビゲーム機のNINTENDO64を発売しました。
多くの子どもたちを夢中にさせたニンテンドーDSやWiiは2004年と2006年に発売されたゲーム機です。
2017年には現在も活躍しているNintendo Switchを発売しました。
任天堂の業績
2020年の中間決算は驚愕の数字をたたき出したと言われています。
新型コロナの影響による“おうち時間”の増加と、 Switchの好調傾向が追い風となり、売り上げは前年同期日の7割増、営業利益は3倍増となりました。
また、連結損益計算書を見ると、2016年3月期時点で売上高は504,459百万円だったのが、2020年3月期には1,308,519百万円を達成しており、2021年3月期予想では1,600,000百万円に到達すると予想されています。
天才ゲームクリエイター岩田聡氏の姿
岩田聡氏は、1959年つまり昭和34年生まれなので幼い頃は当然ながら、青年時代になってもまだパソコンはない時代を生きた人です。
岩田聡氏とコンピュータ
今や当たり前となっているパソコン用のOSである初代Windowsが登場したのは1985年、一般的なパソコンで使えるようになり世界的にヒットしたWindows95が登場したのは1995年の秋です。
岩田聡氏の高校時代は1970年代なので、今のようなコンピュータなどは存在していませんでした。
そのような時代に、プログラマーとしての道を歩み始めることになった岩田聡氏とコンピュータとの出会いはHP社のプログラム電卓です。
独学でプログラムを学びながら、自作ゲームを高校の友人たちに披露していました。
大学に進学した1978年には、ローンでホームコンピュータを買い、愛好者達とプログラミングに打ち込みます。
大学在学中に、プログラミング愛好の仲間が設立したハル研究所でアルバイトを始めた岩田聡氏は、卒業後には正社員となりソフトウェア開発の担当社員となりました。
任天堂と岩田聡氏の出会い
1983年、任天堂がファミコンを発売、強い関心を抱いた岩田聡氏は任天堂に仕事請負の申し出を直接行ってファミコンソフトのプログラミング担当となります。
ハル研究所に在籍しながら任天堂の仕事を請け負っていた形です。
その後、1992年にゲーム事業の不振や不動産投資失敗などにより経営危機に陥ったハル研究所の代表取締役に岩田聡氏は就任しています。
これは、岩田聡氏が社長をするなら助けると援助者が現れたためと言われています。
経営者としての岩田聡氏
ハル研究所の社長に就任したことで岩田聡氏は経営手腕を発揮、星のカービィシリーズなどのヒット作品にも恵まれて15億円の負債を完済、経営を再建しました。
その後、2000年に任天堂社長に認められて任天堂に入社、取締役経営企画室長に就いています。
プログラマーとしての最後の仕事は、「大乱闘スマッシュブラザーズDX」のデバック作業でした。
任天堂は創業以来の同族経営を続けてきた企業ですが、2002年に42歳だった岩田聡氏が社長に抜擢されます。
それまでは社長の一任で決められていた意思決定を取締役会で決める、社長補佐の集団指導体制の導入などの社内改革を行っています。
ゲーム業界全体としてのゲーム離れに危機感を持ち、ゲーム人口の拡大を基本戦略に据えて幅広い層に向けたハード、ソフト開発を行ったのも岩田聡氏です。
岩田聡氏へのインタビュー記事
過去のインタビュー時期で、岩田聡氏は任天堂についてどんな会社なのかを語っています。
普通の仕事よりたくさん汗をかかないと、お客さんは驚いたり感動したりしてくれない、自分がやったことで地球の裏側の人までにこにこしてくれる人達がいるのを実感できる、それが任天堂だと岩田聡氏は言っています。
お客様が楽しんでくれることからエネルギーが得られない人にはつらい仕事、みんなが「お客様を楽しませたい」と思っている集団じゃないと、お客さん本位の対応ができないとも話しています。
高給で安定、効率的に良い思いをしたい人が増える中、仕事をするということの意味を改めて考えさせられる言葉です。
書籍『岩田聡の原点』はどんな本?
任天堂の代表を務めた岩田聡氏について、高校の同級生たち26名から集めた証言をまとめた書籍が『岩田聡の原点』です。
副題にはゲーム界のトップに立った天才プログラマー、高校同期生26人の証言との言葉が並びます。
書籍概要
天才プログラマーと呼ばれた岩田聡氏は、パソコンすらなかった1970年代にどのようにコンピュータと出会い、プログラミングを学んだのかが書かれた本です。
同級生26名の証言から見える高校時代の岩田聡氏の日常や幻のゲームなど、任天堂を新たなステージに乗せた人物の原点に迫ります
『岩田聡の原点』レビュー紹介
天才プログラマー、ゲーマー、そして一流企業の社長という人間離れした印象の岩田前社長の高校時代、卒業後の姿が語られている。
任天堂社長としてメディアに登場した印象とは異なった姿がうかがわれる。
高校時代に初めて作った野球ゲームが復刻されていたり、化学のノートが掲載されていたり、中学時代の新聞配達のアルバイトの姿の写真が掲載されていたりして、同級生ならではのオリジナルな情報が満載です。
引用元:Amazon
楽しいこと、新しいことにチャレンジする、熱い岩田聡氏の姿は、ゲーム好きな人はもちろんビジネス論としても読み応えがある一冊です。
もしご存命であったらまだまだ革命を起こされただろうな、、、と残念な気持ちにもなります。
この本を読んで感じたことを、何か自分の仕事で恩返ししたい!と思える隠れた良書です。おすすめ。
引用元:Amazon
岩田聡氏の生き様から、自分も何かに取り組みたいと思えるきっかけが得られる本としても支持されています。
まとめ
今回は55歳の若さで亡くなった、任天堂の元代表・岩田聡氏についてご紹介しました。
プログラマーとして、そして経営者として人から慕われ愛された岩田聡氏だからこそ、一周忌に高校の同級生たちによって伝記が書かれたと考えられます。
楽しいことを追求し、人を楽しませるために夢中になった岩田聡氏の人生に触れると、自分にもまだ何かできるのではないかと感じさせられるでしょう。
誰かを驚かせ、感動させたいという岩田聡氏の原点に触れて、ぜひ生き方を見直すきっかけを見つけてみてください。